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DATE: 2008/07/14(月)   CATEGORY: 演歌
"出世街道"演歌旅1-3
3歳半の時、祖父畠山宇太郎が迎えに来たのです。
東京・目黒の雅叙園で送別会が開かれ、おじいちゃんと二人で汽車と青函連絡船で稚内に向かいました。
お別れ会や道中のことは覚えていませんが、稚内駅のホームの坂と着ていたねずみ色のオーバー、夕方の曇り空で薄暗かったのは記憶にあります。

大工の棟梁だった祖父と祖母ヤエには本当にかわいがってもらいました。
青森県五所川原出身の祖父は、16歳で北海道に渡って来たそうで、仕事に成功し稚内に33軒もの貸家を持っていました。

南浜通の自宅は稚内駅に近い中心街にありました。
庭に白砂が敷いてあって、大きく立派な家でした。常に一人か二人のお手伝いさんがいました。近所には中沢病院やうどん屋さんがありました。
海が近くて、近所の年上の男の子とよく港に遊びに行きました。
舟から舟へ飛び移って遊んだのですから、今考えるとおっかないことです。

冬は馬そりが雪道に落としていく積み荷のホッケを拾ったものです。おばあちゃんがすり身にして食べさせてくれました。
戦時中で食糧難だったはずですが、空腹の記憶はまったくというほどありません。
祖父が知人の和菓子屋へ連れて行ってくれて、あんこをおなかいっぱいに食べましたもの。
食料に事欠いたのは終戦後です。
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| | 2009/03/03(火) 20:39 [EDIT]
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